「賢明な親は『子どもに野球はやらせない』という選択を…」慶應義塾高校野球部監督が明かした“少年の野球離れ”についての本音

「髪型自由」「長時間練習なし」をはじめ、従来の高校野球らしさとは一線を画す指導方針で、慶應義塾高校野球部を甲子園制覇に導いた森林貴彦監督。同氏は昨今の“少年の野球離れ”について、どのような見解を持っているのか。

加速する小中の野球離れ

高校野球の未来を考えた場合、このままではやはり“衰退”は避けられません。現実として、小学生や中学生が、やるスポーツとして野球を選ばなくなってきており、全体の少子化のペース以上に子どもの野球離れは加速しています。ただし、甲子園で行われる野球のレベルそのものはさほど変わらないと思います。全体で野球をする子どもは減ったとしても、その中でも選りすぐりの、各都道府県で1、2位を狙うような学校で日本一が争われる限りは、レベルはそう簡単には落ちないでしょう。しかし、それを支える土台が細ってきていることは間違いないので、その先がどうなるかは本当に分かりません。

実際、賢明な親は「子どもに野球はやらせない」という選択を始めています。

そもそも野球はミスが付き物のスポーツであるにもかかわらず、空振り三振をしたら「黙ってそのまま立っていればボールなのに、なぜ振るんだ!」と叱られたり、逆に見逃し三振をしたら、それはそれで叱られたりと、そんな場面を目の当たりにすれば、野球を敬遠して当然でしょう。また、親御さんに過度な負担となるような当番制度がまだまだ残っていますし、さらには腰や肩、肘の関節などにかなりの負担がかかるスポーツであるため、小学生の頃からたくさん投げさせられた投手は、中学校、高校に進学する頃にはまともに投げられなくなっているケースも珍しくありません。こうしたリスクを鑑みると、他の競技のほうが魅力的に見えて当然と言えます。

甲子園の先には大学野球やプロ野球という道があり、職業にできるスポーツという意味では魅力があるかもしれませんが、先に挙げた“魅力的でない部分”をかなり多くの親が見極め始めています。「子どものためには水泳をやらせたほうがいいのではないか」「バスケットボールなら半日で終わるし、そちらのほうがいいのでは?」「サッカーなら小さい子でもやれるから、やらせてみようか」。親がそういう思いを抱くのも当然ですし、指導者ライセンスの仕組みもサッカーのほうがかなり進んでいて、言葉は悪いですが野球の指導者は“当たり外れ”が激しいことも否めません。

野球人口の減少、土台の先細り……。一部の強豪校による甲子園大会という構図はまだ十数年は続くと思いますが、あとおよそ100年後、200回大会までは持たないと十分に考えられます。

子どもの自立を妨げる親の押し付け

また保護者の側にも問題がないわけではなく、そもそも子どもの力量を見誤っている保護者が多いように感じます。「うちの子の実力なら、あの高校には絶対に行けるはずだ」と思い込み、進学の際にチーム側と揉めるという話もよく耳にします。また入部後も、「なぜ、うちの子を試合に使わないんだ!」と指導者に文句を言うような、モンスターペアレント化する保護者も少なくありません。

これには、親と子の距離が近くなってきている時代的な背景が大きく影響していると思います。私が高校生の頃は、親が試合や練習を見に来ることにある種の気恥ずかしさを覚えたものですが、いまの高校生は少なくとも嫌がりはしません。もちろん時代の流れとして否定しきれない部分もありますが、親子間の距離の取り方がかなり変化しているのではないでしょうか。いまは昔のようにきょうだいの多い家が少なく、また一人っ子の家庭が多く、親が付いてきて、子どもの野球を一日中ずっと見ているという保護者がたくさんいます。趣味は人それぞれのため否定はできませんが、どうしても「何か違う」という感覚を個人的には捨てきれません。

この親子間の距離の近さは、親が先回りして子どもの行く道にレールを敷いてしまうという問題にもつながってきます。例えば、小学6年生や中学3年生の夏にチームが負けた場合、中学や高校に入るまでの約半年の間に、野球塾に通わせる保護者がかなりいます。“子どもの野球が習い事になっている”という問題は前述した通りですが、中学生や高校生でも類似する問題が起きているのです。

指導者を評価する視点はたくさんあるはず

特に小学生に言えることですが、子どもだけで自然発生的に野球を楽しめる場をもっと作っていかなければいけません。そうでなければ、野球がどんどん硬直化したものになっていってしまうだけだと思います。

それは、指導者に対する評価も同じです。多くのメジャーリーガーを輩出するドミニカ共和国では、輩出したメジャーリーガーの数が指導者の評価の対象となりますが、日本では、甲子園で勝った指導者ほど評価される傾向にあります。これでは結局、勝ったほうがいいという流れになってしまいます。そうではなく、例えば、私立の強豪校と比較して能力はそれほど高くない選手たちを伸ばしたといったことや、将来の指導者をたくさん育てたなど、指導者を評価する視点はたくさんあるはずです。しかし現在は、全国中継される甲子園で勝つことがすべて。これではいつまで経っても、高校野球は変わりようがありません。

部活動を通して適度に嫌な経験をしたり、挫折をすることは必要

保護者が子どもの将来に対して、過度に期待することも大きな危険を伴います。

例えば、野球でどこまで行けるかという生き方を子どもに選ばせてしまうと、高校や大学を選択する際にも、野球がすべての基準となり、勉強がおろそかになった結果、将来の可能性や選択肢を狭めてしまう危険性は十分に認識しなければいけません。

実際に夢が叶ってプロ野球選手になれればよいですが、大学卒業後に野球を続けられなくなったとき、勉強や考える習慣がないとなると、困るのは子ども自身です。このような子どもの可能性や選択肢を狭める行為を、保護者だけでなく、各年代の指導者まで含めてやってしまっているところに野球界の問題がある思います。

文春オンライン